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​南圃通信1  H20.6.24

○春美書会(春美会書道部の略称)の皆さん、こんにちは!

 

○今月から月に一度、お便りをすることにしました。直接月一回のお稽古に伺う代わりです。

 

○実はパソコンでお便りするつもりでしたが、今、トラブルをおこし使えませんでしたので手書きになりました。

 (本当はその方が良かったのかもしれません・・・)

 

○『書道』の色々の事についてお伝えしたいと思います。もし、この通信についてものご返事がいただけたら、こんな嬉しいことはありません。

 

○早速、お話に入りましょう。いつぞやある方に『墨汁を使ってはいけません』と申し上げましたが、それには理由があります。

 一つは、書道は墨を磨ることから始まるのです。硯の岡(平らな所)に水を少量落とし、静かに右の端をタテに磨って行きます。ある程度磨ったら左の端に移動します。真中は擦りません。右・左を磨ってゆけば自然に磨れていくからです。

『墨の重さで磨れ』とか『乙女の肌をさするように磨れ』とも言われています。

 筆を持つ前の心を安静にさせる準備体操のようなものです。”急がず休まず”ゆっくりと静かに磨ってゆきます。

 磨りあがった墨汁は『池』(硯の前の凹んだ所)に落としてゆきます。

 (『池』に入れた水を引き上げて磨るのではない所を注意して下さい)

 

○ころして墨も磨りあがり、心も落ち着いた所で手本を開き、執筆の準備に入ります。

○二つ目は、硯で磨った墨によって『濃淡』が文字に出ることが大切です。楷書の段階では一字一字墨を継ないでもよろしいのですが、行書、草書、かなに進みますと、二字〜三字連続して書く事になり墨の濃淡が出るようになります。

 この濃淡の変化が『東洋芸術』(書や水墨画)の極致、と言われております。墨の濃淡、かすれなどで一切が表現されるからです。立行の変化、ヨコの行と行と変化、ここに、『書』の美が生み出されます。

 仮名も『墨つぎ』と言って、濃淡があって美しい連綿体の美が生まれます。

 墨汁ですと濃淡のない黒一色のノッペラボーの作品のとなります。それで硯で磨った墨を使うわけです。

 『東洋芸術』(日本と中国の場合)の極致は墨の濃淡にあり!!

とおぼえて頂きたいと存じます。

○以上、私達の書道で墨汁を使わず面倒のようでも、心を静め、墨の香りを味わいつつ趣味・芸術の世界に没入する大切な作業であることを申し上げました。

⭐︎今日は、このあたりでペンをおかせて頂きます。良い硯は(端渓や歙州硯)は実用硯であると同時に宝石ということもできます。こういう名硯を所有すると自然に墨を磨って、その発墨の味わいを堪能したくなるものです。

⭐︎書道の入り口は”墨をすることから始まる”とご記憶ください。

                                           以上

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