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​南圃通信3  H20.8.14

墨の話

 『墨』の起源を知ったのは、中国の南、広州の博物館だった。『仁丹』をやや大きな油煙だったか松煙だったかを、固形にして丸めたものだった。”こんなのが墨のはじまりか”と思った。

 

 今、中国では書家(職業を持っていて『書』をやる人)は、ほとんど墨汁を使う人が多い。したがって濃淡のないのっぺらぼうな作品ばかりだ。濃淡のない水墨画や『書』は、変化がなく、平淡で、芸術味に乏しい。この点、日本の作品が味わい深い、と思う。

 『墨の濃淡は東洋芸術の極致』

 

 と言う言葉がしみじみ味われる。

 墨は黒色が主であるが朱墨もある。黒色の中でも普通のものと、青墨、茶墨などがあって、書道では『かな』作品によく使われているのを見かける。古墨(制作して十数年経ったもの)は、墨の色がやや薄くなって青墨のような枯淡な味が出て、珍重されている。

 墨には、唐墨と和墨がある。こう言っては失礼だが、唐墨は、粗製なのと風土に合わないのか、日本に持ってくると罅割れて商品としての価値が低い。ただし栄寳斎(中国の官営企業)のものは罅割れなかった。それに引きかえ日本(特に奈良のもの)の墨は、密度が細やかで(ニカワの割合かもしれない)ほとんど割れる、と言うことが少ない。

 墨を磨るのは、岡(硯の平らな所)に少し水を落として、濃度よく磨り上った墨液を池(硯の凹んでいる所)に落としてゆくのが、正しい墨の擦り方である。右の端を磨ったら左の端を磨るようにすると真ん中は自然に磨れることとなる。誰でも手に癖があるから時々裏返して磨ると、薙刀のようにならずに水平の形となる。

 そして、磨った後の墨は反故紙のようなもので、使用の個所の滴を拭い去っておくと、どんな季節でも罅割れたりすることがなく、気持ちよく使えるものである。

​ 美しい墨色で『書』を書きたいものだ。

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